年末に重いテーマを扱ったので、年始くらいは軽く
教育に関するおろしろネタ
で、いってみます。
ただし、あまりおもしろくできるか自信はありません。
それなりにオチはあります。
ゆとり教育のとき、何が何でも3割けずれという指令が出され徹底されました。
一番おもしろいと思ったのは理科の用語の話です。
「混合物」に対して、純粋な物質を意味する「純物質」という用語がありました。
この「純物質」という用語も、削減(さくげん)の対象になりました。もう他にけずれそうな用語がなかったのでしょう。
しかし、純粋な物質という考え方がなければ、「混合物」という考えはあり得ません。
「混合物」はさすがに削れません。
削減後も「混合物に対して1種類の物質からできている物質を何というか?」というテストの出題は当然ありました。
答えは「純粋な物質」です。
けずったつもりが「粋な」の2文字分増えてしまいました。
あまり、おもしろくなかったでしょうか?
それではもう1つ。今度は高校の英語からです。
何年ほど前か忘れました。ちょうどハリーポッターの映画2作目が公開され、大人気だった頃の話です。
高校英語1年生の教科書でも、ハリーポッター1作目のエピソードの一部が扱われていました。
ハリーたちがほうきの授業を始めて受ける場面です。
ネビルがあまりの緊張のあまり、コークの栓のように真上に飛び出してしまうあたりから始まります。
マルフォイの挑発に乗って、ハリーは先生の制止も聞かずほうきで飛び回ります。
(ネビルとかマルフォイとか、わからない方ごめんなさい。)
そこへ、マクドガナル副校長がやってきます。厳格でとてもおっかない女性の先生です。
彼女はハリーに、こちらに来なさいと呼び出します。
ここで、教科書に引用された部分は終わりです。
この後に、日本語で学習の手引きのようなものがのせられていました。
「この後の話の展開がどうなるか、みんなで話し合ってみましょう。」
この問(この後の話の展開がどうなるか?)の正解は・・・
「クイディッチのチェイサーに抜擢(ばってき)される。」 です。
・・・・見事にわかるわけないです。
クイディッチとういうのは空飛ぶほうきに乗って行う架空のスポーツ。チェイサーはそのポジション名。
寮対抗で1年かけて競われていて、マクドガナル先生はふだんは冷静沈着だけどクイディッチのことになると熱くなり我を忘れる。
・・・など、いろいろとファンにはおもしろい設定があるのですが、知らなければこんなこと想像できるはずないですよね。
もし、何も知らないのにこれに近いことを想像できたとしたら、絵本作家になれるでしょう。
今、ちまたで噂になってる「アクティブラーニング」ってこの程度のものですよ。
ハリーポッターを知らない人たちが、何か話し合ってもたかが知れてますよね。
私もアクティブラーニングに全面的に反対というわけではないのですが、ディベート(議論)重視というのはちょっとどうかと思います。
アクティブラーニングは完全に「錦の御旗(にしきのみはた)」を掲げているので、一般の方が反対意見を目にすることはほとんどありません。(少し怖い話ですよね。)
しかし、なんでもそうですが問題点が多々あるのは事実です。
アクティブラーニングの問題点を指摘する第一人者のような方もおられます。福嶋隆史という方です。NHK教育の「テストの花道」という番組にもよく出演しているのでご存知の方も多いと思います。
大変優秀な方で、かつ心ある方なので、この方が指摘するアクティブラーニングの問題点は示唆・教訓に富みます。ホームページやブログ・無料メルマガ等でアクティブラーニングの問題点を鋭く指摘されているので、興味のある方はご覧ください。
私がディベート(議論)重視に違和感を覚えるのは、別にしっかりした根拠があるわけではなく、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という小説の中で、坂本龍馬が
議論ほどくだらないものはねえ。
と言っていたからです。
確か続きは「負ければ嫌な思いをするし、勝ったとしても実はまったく得がない。」というような内容でした。
若い頃これを聞いて、本当にその通りだと胸がスカッとしたのを覚えています。
それ以来、この言葉は私の生きる指針の一つになっています。
アクティブラーニングについて言いますと…
その目的から考えれば、それこそ今までいやってきた勉強をしっかりすればいいだけの話のように思います。
特に最近言われている「新傾向」とか「新学力観」といった問題は、生徒さんのコミュニケーション能力を育む正しい方向です。それをいかに教師側がうまく活かせるかの方が大切でしょう。
あまり気づかれていませんが、中学時代、証明問題を上手にかけた人は話すのも文章書くのも上手な人になっています。
出題者の意図を読み取ることに意識が向いていた方は、他の人の立場や気持ちに気が使える立派な人に育っています。
勉強できなくてもこういうことできる方もいらっしゃいますが、本来勉強とはこういう能力を育むために行われていたものです。
しかし、うまく機能していないことも事実です。(だからこそアクティブラーニングのような考え方が出てきたのでしょう。)
うまく機能していないのを補うために、富士宮教材開発は存在しています。
以上です。
ご意見・ご感想、お待ちしております。
富士宮教材開発
井出真歩
シェア歓迎します。リンクもフリーです。